「最近、タイムが頭打ちになっている」「レース後半でどうしてもペースが落ちてしまう」「もっと心肺機能を強化して、余裕を持って走りたい」
日々トレーニングに励む中で、このような壁にぶつかっているランナーは多いのではないでしょうか。月間走行距離を伸ばしても、なかなかブレイクスルーのきっかけが掴めないとき、見直すべき指標が一つあります。それが、ランナーの「エンジンの大きさ」を示す**最大酸素摂取量(VO_2max)**です。
VO_2maxは、単なるスマートウォッチの推定値や難しい生理学の用語ではありません。あなたが限界まで追い込んだ時に、体内にどれだけの酸素を取り込み、エネルギーに変換できるかを示す、ランニングパフォーマンスの根幹を成す数値です。5kmや10kmの記録向上に直結するのはもちろん、フルマラソンという長丁場をエリートレベルで戦うための「入場券」でもあります。
この記事では、VO_2maxがランニングにどう影響するのかという科学的なメカニズムから、日々の練習で劇的に数値を引き上げるための具体的なトレーニングプロトコルまでを1000人近いランナーを育成してきた経験を交えながら徹底解説します。
自身の身体の限界を知り、それを押し広げるための「正しい知識」を手に入れて、次のレースで自己ベストを更新する準備を始めましょう。
VO_2max(最大酸素摂取量)とは?ランナーにとっての重要性
5000mのトラックレースからフルマラソンまで、距離を問わずすべてのランナーにとって「持久力」は永遠のテーマです。その持久力の土台であり、ランナーとしてのポテンシャルを明確に数値化したものが**最大酸素摂取量(VO_2max)**です。
私自身のコーチングの現場でも、特に1500m、5000m、10000mを主戦場とするランナーに対しては、この「VO_2maxの向上」を極めて重要視してトレーニングを組み立てています。なぜなら、これらの距離では有酸素エンジンの大きさがそのままタイムに直結するからです。
$VO_2max$の基礎概念と「フィックの式」
VO_2max(Volume of Oxygen maximum)とは、激しい運動を行っている際に、生体が1分間に取り込むことができる酸素の最大量のことです。簡単に言えば、あなたの体が持っている「有酸素エンジンの最大出力」を意味します。
生理学の世界では、この$VO_2max$は「フィックの式(Fick Equation)」という計算式で定義されています。
VO2max = Q × (CaO2 - CvO2)
- Q(最大心拍出量):心臓が1分間に全身へ送り出せる血液の量(運搬能力)
- CaO2 - CvO2(動静脈酸素較差):動脈血と静脈血の酸素濃度の差。つまり、筋肉が血液中からどれだけ酸素を取り込んで使えたか(利用能力)
この式が示す通り、$VO_2max$を高めるためには、ただ肺からたくさんの空気を吸い込めば良いというわけではありません。心臓が力強く大量の血液を送り出し(中枢要因)、活動している筋肉がその酸素を効率よく受け取ってエネルギーに変換する(末梢要因)という、2つの能力が高いレベルで噛み合う必要があるのです。
なぜ「体重あたりの相対値(ml/kg/min)」で評価するのか
スマートウォッチなどでVO_2maxの数値を確認すると、「50」や「60」といった数字が表示されると思います。これは通常、体重1kgあたり1分間に消費される酸素のミリリットル量(ml/kg/min)という相対値で表されています。
なぜ体重で割る必要があるのでしょうか?それは、体格の異なるランナー間で有酸素能力を公平に比較するためです。
体が大きく体重が重い人は、絶対的な酸素摂取量(L/min)自体は大きくなります。しかし、ランニングにおいては自らの体重という「荷物」を運ばなければなりません。そのため、体重1kgあたりでどれだけ多くの酸素を使えるかが、実際の走力に直結してくるのです。
高いVO_2max(ml/kg/min)を持つということは、それだけ軽量かつ大排気量の高性能エンジンを積んでいることと同義です。トラック競技からフルマラソンまで、あらゆる距離のランナーにとってこの数値を高めることが自己ベスト更新への第一歩となります。
酸素はどうやって筋肉に届く?「酸素運搬鎖」の5つのステップ
VO2maxの数値を引き上げるためには、体内で酸素がどのように運ばれ、消費されているのかという「ルート」を知っておくことが非常に役立ちます。
私たちが吸い込んだ外気中の酸素が、活動している筋肉内のミトコンドリアに到達し、走るためのエネルギー(ATP)に変換されるまでには、5つの段階的なプロセスを経る必要があります。スポーツ科学ではこれを「酸素運搬鎖」と呼びます。
このルートを物流(配送システム)に例えながら、どこがランナーの「ボトルネック(弱点)」になりやすいのかを見ていきましょう。
【中枢要因】呼吸器と心臓のポンプ機能(R1〜R3)
まずは酸素を体内に取り込み、全身へ送り出す「中枢」の働きです。
- R1:肺胞換気(空気の取り込み) 最初のステップは、シンプルに「呼吸」です。最大強度の運動時には、1分間に100リットルを超える空気を換気します。
- R2:肺拡散(血液への受け渡し) 肺に入った酸素を、血液中に溶け込ませるステップです。実は、健康な一般ランナーの場合、この「肺の機能」がVO2maxの限界を決めることはほとんどありません。(※ただし、極めて心肺機能が高いエリートランナーになると、血液が肺を通過するスピードが速すぎて、酸素の受け渡しが間に合わなくなる現象が起きることがあります)
- R3:心拍出量(心臓のポンプ機能)★最大のカギ 多くのランナーにとって、VO2maxの最大の制限要因(ボトルネック)となるのがここです。 心拍出量は「1回の拍動で送り出される血液量(一回拍出量) × 心拍数」で決まります。最大心拍数は加齢とともに低下し、トレーニングで増やすことは困難です。つまり、VO2maxを上げるには、トレーニングによって心臓の筋肉を鍛え、「1回のドクン!で送り出せる血液の量(一回拍出量)」を増やすしかないのです。
【末梢要因】血液による運搬とミトコンドリアでの消費(R4〜R5)
心臓から勢いよく送り出された酸素は、いよいよ下半身の筋肉へと運ばれていきます。
- R4:末梢運搬(血液というトラックと、毛細血管という道路) 酸素を運ぶトラックの役割を果たすのが、血液中の「ヘモグロビン」です。トレーニングを継続すると、血液量(血漿)が増え、長期的には赤血球数も増加します。さらに、筋肉の周りを取り囲む「毛細血管(ローカル道路)」の密度が高まることで、渋滞を起こさずにスムーズに酸素を筋肉へ届けられるようになります。
- R5:組織利用(ミトコンドリアでのエネルギー変換) 最終目的地が、筋細胞内にあるエネルギー工場「ミトコンドリア」です。届けられた酸素を使って、走るためのエネルギー(ATP)を大量に生産します。トレーニングによってミトコンドリアの数や密度が増え、働きを助ける酵素(酸化酵素)が活性化することで、酸素の利用効率が最大化されます。
このように、ただゼーゼーと息を吸うだけでなく、**「心臓のポンプを大きくし、毛細血管の道路を広げ、筋肉の工場を増築する」**という一連のシステム全体を強化することが、VO2maxの向上、ひいては自己ベストの更新へと繋がっていくのです。
補足:自分のVO2maxはどうやって知る?
各距離における重要度についてお話しする前に、「そもそも自分のVO2maxはどうやって測るの?」と疑問に思う方もいるでしょう。
厳密かつ正確にVO2maxの数値を割り出すには、専門のスポーツ科学施設などで「呼気ガス分析装置」という特殊なマスクを装着し、トレッドミル上で限界まで追い込む大がかりなテストが必要です。しかし、これは一般のランナーにとってあまり現実的ではありません。
そのため、現場レベルでは**「最近のレースタイム(特に全力で走った5kmや10kmの記録)」から逆算して、自身の現在の能力を推測・評価する**のが最も実用的です。スマートウォッチが表示するVO2maxの推定値も一つの目安にはなりますが、あくまで実際の走力(タイムや体感的な余裕度)と照らし合わせながら、「今の自分のエンジンはこれくらいか」とおおよそ把握しておく程度で十分です。
これを踏まえた上で、あなたの主戦場となる距離において、このエンジンサイズがどれほど重要になってくるのかを見ていきましょう。
【距離別】あなたの主戦場におけるVO2maxの重要度
ランニングの競技力は、VO2maxだけで全てが決まるわけではありません。しかし、各距離においてランナーが出せる「有酸素エネルギーの天井」を規定しているのは、間違いなくこの指標です。
5km・10kmロードレース:有酸素エンジンの大きさが直結する
もしあなたが5000mのトラックレースや、5km・10kmのロードレースでの自己ベスト更新を狙っているなら、VO2maxの強化は「最優先事項」となります。
エリートランナーの場合、5kmは自身のVO2maxの約95〜98%、10kmは約90〜92%という、極めて限界に近い高強度を維持して走り切ります。この領域では、純粋な「有酸素エンジンの大きさ」が、そのまま持続可能なペースに直結するからです。
実際に、3000mや5000mといった距離のパフォーマンス変動の大部分は、このVO2maxの数値の高さによって説明できることが研究データでも示されています。
マラソン:上のレベルで戦うための「入場券」
では、フルマラソンにおいてはどうでしょうか。「マラソンはペースを抑えて長く走るから、最大酸素摂取量はそこまで関係ないのでは?」と思うかもしれません。
確かに、フルマラソンはVO2maxの約75〜85%という、最大値から見ればやや「余裕のある」強度で2時間以上走り続ける競技です。そのため、5kmレースほどVO2maxの数値が直接的に順位を決定づけるわけではありません。
しかし、これは決して「VO2maxが低くても良い」という意味ではありません。エリートマラソンランナーは、男性で80ml/kg/min以上、女性で70ml/kg/min以上という、驚異的に高い数値を共通して持っています。この高い「天井」があるからこそ、その80%という強度であっても、恐ろしいほどのハイペースで巡航できるのです。
つまり、フルマラソンにおいて高いVO2maxは、高いレベルで戦うための前提条件となる「入場券」と言えます。この強靭なエンジンを手に入れた上で、いかに少ないエネルギーで速く走るか(ランニングエコノミー:燃費)や、持久力(乳酸閾値:LT)を磨き上げていくことが、マラソンのタイムを削り出すカギとなります。
VO2maxを劇的に引き上げる科学的トレーニングの「鉄則」と「理論」
VO2maxの数値を向上させるためには、心臓の一回拍出量を最大化させ、筋肉に高い酸素要求負荷を与える刺激が不可欠です。そのための代表的なアプローチが、高強度のインターバルトレーニングやレペティショントレーニングです。
具体的な「何メートルを何本走るか」といった実践的なメニューについては別記事で詳しく解説していますが、いざVO2maxを高めるトレーニングに取り組む上で、絶対に外してはいけない**「2つの鉄則」**があります。
鉄則1:まずは「ジョグ」で有酸素の土台を作ること
「VO2maxを上げるにはゼーゼーハーハー追い込めばいいんだ!」と、いきなり高強度のインターバルに手を出してしまう方がいますが、有酸素の「土台」がない状態で行っても、実はほとんど意味がありません。
基礎的な心肺機能や毛細血管の発達(前述の酸素運搬鎖のルート構築)が未熟な状態では、VO2maxを刺激するのに十分な強度に到達する前に、筋肉や呼吸が音を上げて練習をこなせなくなってしまいます。まずは日々の「ジョグ」をしっかりとこなし、距離や時間を走れる有酸素の土台を築き上げること。特化型トレーニングを取り入れるのは、その基礎工事が完了してからでも決して遅くありません。
鉄則2:闇雲に追い込むのではなく「適切なペース設定」で行うこと
いざインターバルを行う際にも、「とにかく全力で限界まで速く走ればいい」というわけではありません。自分の実力以上の速すぎるペースで突っ込んでしまうと、無酸素運動の割合が大きくなりすぎてしまい、本来の目的である「有酸素エンジンの拡大」から逸脱してしまいます。疲労度ばかりが高まり、怪我のリスクも跳ね上がるため、**「いまの自分の走力に合った適切なペース設定」**で行うことが最大のカギとなります。
自分に合う刺激はどれ?知っておきたい3つの代表的理論
土台ができあがり、適切なペースも把握できた。では、実際にどのような刺激を入れるのが正解なのでしょうか。
ここで重要なのは、**「VO2maxを高めるための完璧で唯一の正解は存在しない」**ということです。ランナーにはそれぞれ筋繊維の割合や疲労耐性に「個性(個人差)」があります。
私自身の実体験で言えば、400m×10本のような「ショートインターバル」を計画的に取り入れるアプローチが非常に体質に合っており、記録の向上に直結しやすい特性を持っていました。このように、指導者や研究者によっても哲学は異なり、ランナーの特性によって効果的な刺激の入り方も変わります。
だからこそ、「なぜその走り方がVO2maxに効くのか」という理論を知り、自分に合うものを選択していく視点が必要です。世界的に支持されている3つの理論を紹介します。
1. 心臓のポンプを物理的に広げる「ノルウェー式 4×4」の理論 最大心拍数の90〜95%の強度で「4分間」疾走するアプローチです。走り始めてから酸素摂取量がVO2max付近に到達するまで約2分かかるため、残りの2分間で心臓に最大の負荷(ストレッチ)をかけ続けます。これを繰り返すことで、心臓が血液を送り出す力(一回拍出量)を物理的に強化しようという理論です。
2. 短い疾走で“滞在時間”を稼ぐ「ビラ 30-30」の理論 30秒の疾走と30秒の休息(ジョグ)を細かく繰り返すショートインターバルの理論です。「30秒という短い休息であれば、体内の酸素摂取レベルはすぐには落ちきらない」という生理学的反応に着目しています。無酸素的なダメージ(乳酸の急増)を抑えつつ、トータルで見れば「VO2maxに近い状態で過ごす時間」を長く確保できるため、私のように短い距離の反復が身体に合っているランナーには非常に有効なアプローチです。
3. 無酸素の介入を防ぐ「ダニエルズのIペース」理論 自身の走力から割り出したIペース(概ね5kmのレースペース)を守り、かつ1本の疾走時間を「最大でも5分まで」と厳格に定める理論です。5分以上長く走ってしまうと無酸素系のエネルギーが急激に優位になり、「単なる耐乳酸トレーニング」になってしまうのを防ぐための、非常に理にかなった設定です。
それぞれの理論が「何を狙っているのか」を理解し、自分の個性(個人差)と対話しながら最適なアプローチを探っていくことが、自己ベスト更新への最短ルートとなります。
年齢や遺伝の壁は越えられる?知っておきたい生理学的要因
ここまでVO2maxを高めるためのトレーニングについて解説してきましたが、スポーツ科学の残酷な真実として、VO2maxには「生物学的な限界点」が存在することも知っておかなければなりません。
しかし、これらの要因を知ることは「自分には才能がない」「もう歳だから」と諦めるための言い訳探しではありません。自分の身体に起きている生理学的な事実を客観的に受け入れ、より賢くアプローチしていくための重要なステップです。
遺伝の壁と「ハイ・レスポンダー」
身も蓋もない話に聞こえるかもしれませんが、個人のVO2maxの「初期値」や、トレーニングに対してどれくらい数値が伸びやすいか(反応性)の約50%は、遺伝によって決定されると言われています。
心臓のサイズや心筋の特性、そして前述した酸素のエネルギー工場である「ミトコンドリア」の能力などは、遺伝的な影響を強く受けます。中には、少しのトレーニングでVO2maxが急上昇する「ハイ・レスポンダー」と呼ばれるタイプのランナーもいれば、同じメニューを熱心にこなしても数値が伸びにくいランナーも存在します。(ちなみに、持久能力の要となるミトコンドリアDNAは母親からのみ遺伝するため、スタミナのポテンシャルには母方の影響が色濃く出ると言われています)
しかし、前章でお伝えした通り、ランナーには「個性」があります。VO2maxが上がりやすい・上がりにくいというのも一つの個性です。伸びにくいタイプであれば、トレーニングの刺激(インターバルの種類など)を変えてみたり、後述するランニングエコノミー(燃費)の改善に比重を置いたりすることで、タイムはまだまだ縮めることができます。
加齢による低下は「高強度トレーニング」で食い止められる
ランナーにとって最も気になるのが「年齢」との関係でしょう。一般的に、VO2maxは30歳を過ぎると、10年ごとに約5〜10%の割合で自然低下していくとされています。(中略…高強度トレーニングで低下速度を緩和できるという解説)
マラソンは「30代からが黄金期」?長く楽しめる長距離競技の魅力
加齢によるVO2maxの低下という事実をお伝えしましたが、ここでランナーにとって非常に希望の持てるデータがあります。それは、各スポーツにおける「ピーク(全盛期)を迎える年齢」の違いです。
身体能力のピークは競技の特性によって大きく異なり、一般的に以下のような推移をたどります。
- 15歳〜22歳:体操やフィギュアスケート(高い柔軟性や瞬発的な筋力が求められる競技)
- 23歳〜27歳:100mなどの短距離走(絶対的なスピードやパワーが求められる競技)
- 〜30歳ごろ:中距離走
- 28歳〜35歳ごろ:フルマラソンなどの長距離走
このように、瞬発力や絶対的なスピードが勝敗を分ける競技に比べ、フルマラソンのような長距離種目は、ピーク年齢が明らかに遅くやってきます。
VO2max(最大酸素摂取量)の絶対値自体は年齢とともにピークアウトし始めたとしても、長年の走り込みによって培われた「ランニングエコノミー(効率の良いフォーム・燃費)」や「乳酸閾値の向上」、そして長丁場を乗り切る精神的なタフさが、それを十分にカバーしてくれるからです。
つまり、他のスポーツと比較して、長距離やマラソンは年齢が上がってもパフォーマンスを維持・向上させやすい、極めて稀有な競技だと言えます。30代はまさにランナーとしての成熟期・黄金期であり、正しいトレーニング理論を持って走り続ければ、年齢の壁を越えて長く自己ベスト更新を楽しみ続けられる。それこそが、長距離走の最大の魅力なのです。
男女におけるVO2maxの違いと向き合い方
一般的に、男性は女性に比べてVO2maxの数値が15〜25%ほど高くなります。これは純粋な優劣ではなく、3つの明確な生理学的な違いによるものです。
- 筋肉量と体脂肪率:男性の方が酸素を消費する筋肉量が多く、相対的に「重り」となる体脂肪率が低い傾向にあります。
- 心臓のサイズ:男性の方が心臓の容積が大きく、1回で送り出せる血液量(一回拍出量)が多いという特徴があります。
- ヘモグロビン濃度:酸素を運ぶトラックである血液中のヘモグロビン濃度が、男性の方が高く設定されています。
特に女性ランナーが気をつけたいのは「鉄分」です。月経周期に伴う鉄分不足はヘモグロビン濃度を直接的に低下させ、それがVO2max(酸素運搬能力)の低下や貧血によるパフォーマンスダウンに繋がります。日々の食事やサプリメントで、酸素の運び屋であるヘモグロビンの材料をしっかり補給しておくことが、数値を維持するための重要な土台となります。
さらに上を目指すランナーへ:細胞レベルの適応と「VLamax」
VO2maxを高めるトレーニングを継続していくと、体の中では単に心臓が大きくなるだけでなく、目に見えない「細胞レベル」でも劇的な進化が起こっています。記録が伸び悩んでいるランナーがさらに一段階上のレベルへ到達するためには、この筋肉の内部で起きている変化と、近年のスポーツ科学で重要視されている「VLamax」という概念を知っておく必要があります。
ミトコンドリアの増築と「30kmの壁」の突破
高強度のインターバルトレーニングなどで持久的な負荷をかけると、筋肉の細胞内では特定のシグナル(AMPKなど)が活性化し、酸素のエネルギー工場である「ミトコンドリア」の数と機能が急激に向上します。これがVO2max向上の「末梢要因(筋肉側の適応)」です。
ミトコンドリアが発達し、働きを助ける酵素(酸化酵素)が増えると、ランナーにとって非常に大きなメリットが生まれます。それは**「糖(グリコーゲン)を節約し、脂肪を優先的にエネルギーとして使えるようになる」**ということです。
フルマラソンで多くのランナーが直面する「30kmの壁」は、体内に貯蔵されている糖質エネルギーが枯渇してしまうことが大きな原因です。しかし、VO2maxトレーニングによって細胞レベルの適応が進んだランナーは、無限に近いエネルギー源である「脂肪」を効率よく燃やして走れるため、レース後半での失速を劇的に防ぐことができるのです。
同時に、筋肉の周りには毛細血管が新たに作られ(毛細血管新生)、酸素を隅々まで届け、不要になった老廃物(二酸化炭素など)をスムーズに回収できる、渋滞知らずの道路網が完成します。
VO2max(燃やす力)とVLamax(作る力)の絶妙なバランス
近年の長距離トレーニング理論において、VO2maxと同じくらい頻繁に議論されるようになったのが**「VLamax(最大乳酸産生速度)」**です。
- VLamaxとは?:糖を分解して乳酸を作り出す(無酸素系エネルギーを生み出す)スピードのこと。
短距離のスプリンターは一瞬で爆発的なパワーを出すために、このVLamaxが非常に高い状態にあります。しかし、5000mやフルマラソンを主戦場とする持久系ランナーにとっては、「VLamaxが高すぎる(乳酸を作りすぎる)状態」はマイナスに働くことが多いのです。
関係性を分かりやすく言うと、以下のようになります。
- VO2max(最大酸素摂取量) = 乳酸を「燃やす」力
- VLamax(最大乳酸産生速度) = 乳酸を「作る」力
フルマラソンのような競技でVLamaxが高すぎると、貴重なエネルギー源である糖を無駄遣いしてしまい、すぐにガス欠(30kmの壁)を起こしてしまいます。
したがって、現代の長距離トレーニングの核心は**「VO2maxのインターバルで有酸素の天井(燃やす力)を引き上げつつ、過剰にVLamax(作る力)が上がってしまわないようにコントロールすること」**にあります。
前章で「闇雲に追い込むのではなく適切なペースで」「まずはジョグで土台を」とお伝えしたのはまさにこのためです。インターバルばかりを全力でやりすぎると、スプリンターのようにVLamaxが高まりすぎて持久力が落ちてしまいます。
だからこそ、VO2maxを刺激する高強度トレーニングと並行して、低強度のジョグ(Zone 2)や、乳酸を処理する能力を高める閾値走(テンポ走)をバランスよく配置し、この2つの数値を最適な状態にチューニングしていくことが、シリアスランナーにとっての究極の目標となるのです。
まとめ:自身の有酸素エンジンを最大化して限界を突破しよう
最大酸素摂取量(VO2max)は、あなたのランナーとしてのポテンシャルを決定づける最も根源的な「エンジンの排気量」です。
この記事で解説してきた重要なポイントを振り返りましょう。
- VO2maxの正体:心臓が血液を送り出す力(中枢要因)と、筋肉が酸素を消費する力(末梢要因)の掛け合わせである。
- 距離別の意味合い:5km・10kmではタイムに直結する絶対的な指標であり、フルマラソンにおいては高いレベルで戦うための「入場券」となる。
- トレーニングの鉄則:いきなり追い込むのではなく、まずはジョグで有酸素の土台を作ること。そして、実力に合った「適切なペース」で行うこと。
- 理論と個性の融合:「ノルウェー式」「ビラ30-30」「ダニエルズIペース」など、理論の裏側にあるメカニズムを理解し、自分の特性に合った刺激を見つけること。
- 年齢は言い訳にならない:長距離走のピークは20代後半から30代。高強度トレーニングを継続すれば加齢による低下は食い止められ、長く自己ベスト更新を楽しめる。
VO2maxは、単にスマートウォッチに表示される無機質な数字ではありません。あなたが自身の身体の限界に挑み、細胞レベルから生まれ変わろうと努力した「過程の証」です。
科学的な理論を味方につけ、焦らず土台から丁寧に積み上げていけば、あなたのエンジンはまだまだ大きくなります。自身の身体との対話を楽しみながら、次のレースでの自己ベスト更新を目指して駆け抜けましょう!
よくある質問(Q&A)
最後に、VO2maxについてランナーの方からよくいただく質問をまとめました。
Q1. スマートウォッチ(GarminやApple Watchなど)で表示されるVO2maxは正確ですか? A. ひとつの目安としては非常に優秀ですが、心拍数とペースの関係から推測しているため、実際の数値とは誤差が生じます(気温や疲労度、コースのアップダウンにも影響されます)。そのため、日々のわずかな数値の上下に一喜一憂するのではなく、「3ヶ月前と比べてベースが上がっているか」といった長期的なトレンドを把握するために活用するのがおすすめです。
Q2. VO2maxを高める高強度トレーニング(インターバルなど)は、週に何回やればいいですか? A. 身体への負荷が極めて高いため、一般のシリアスランナーであれば**「週に1回、多くても2回」**が上限です。やりすぎは怪我のリスクを高めるだけでなく、記事内で触れた「VLamax(乳酸を作る力)」を過剰に引き上げてしまい、持久力の低下を招く恐れがあります。ポイント練習以外の日をしっかりジョグ(つなぎの練習)に充てることが、トレーニング効果を最大化する秘訣です。
Q3. ダイエットをして体重を落とせば、VO2maxは上がりますか? A. はい、計算上は上がります。ランニングのVO2maxは「体重1kgあたり」の数値(ml/kg/min)で評価されるため、心肺機能が変わらなくても、純粋な「重り」である体脂肪を減らすことができれば数値は向上し、走力もアップします。ただし、過度な食事制限によって筋肉量が減ったり、鉄分不足で貧血(酸素を運ぶヘモグロビンの減少)を引き起こしたりすると、かえってパフォーマンスが低下するため注意が必要です。



